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2025.09.16
はんこって
●悲しいことですが、現実として、これからハンコは無くならないであろうが、必要な場面が少なくなってきます。
押すか押さないのか分からないものなのですが、いい加減な物や自分が納得いかないものを持っていると、大切にしません。
また、こうも言われました。
いくら美しいものでも、読めないハンコは持ちたくないと・・・
だけど、印刷活字のようなものではなく、重要印章の書体である篆書のものがほしいと・・・
長い印章の歴史のなかで、篆刻が芸術分野に方向を定め、実用印章は印章の本来の在り方をたどって来ました。
篆刻は芸術分野でありますので、書と同様に文字学に忠実であらねばなりません。
そうでないなら、威厳と権威を示している篆刻とは呼べない別物だと思います。
実用印章は、使用者のお名前に責任を持たねばなりません。
ですので、漢字にない文字を工夫して製作しなければならない立場に置かれます。
平仮名やカタカナもそうですが、国字や俗字、お名前だけに使われる漢字、戸籍登録時における誤字や一部を草書で登録したために、その箇所だけを草書に当てはめた篆書を使用したり、ある意味文字を文様化して、しかも丸のなかにデザインしなければなりません。
それら実用の現実に対応せねばならないのですが、一定の規範がないと、読めない代物になり果てます。
横のレイアウトの基準も、右から左を崩してしまい、欧米化してしまった文章のレイアウトと同じく左から右に配置するのを自由とすると、「田中」さんと「中田」さんは混同してしまいます。
読めないハンコには、社会は信用をおきません。
そんなものは要らない、ほかの認証形態に席を譲ることになります。
「竜」の字と「龍」の字の語源が同じだからといって、「竜之介」という自分の名を「龍之介」と変えられたハンコを実印として登録するのは、私ならごめん被りたいものです。
文字の記載方法が左から右となり、尺貫法もセンチメートルとグラムとなり、そういう文化がひっそりと残ってきた花園を荒らす者は誰だ!と云いたい気持ちになります。
実用印章として彫られた名前は「文(あや)」であり、工藝なのです。
そこを遺したいと強く感じています。