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2023.08.29

印章:刻まれてきた歴史と文化・・その5 山梨の印章

 印章:刻まれてきた歴史と文化・・その⑥ 最終回

(6.山梨の印章産業 )

 現在生産量全国一位を誇る山梨の印章産業は、文久年間(1861~64)に水晶印の 篆刻から始まったといわれる。山梨では古くから水晶を産出していたが、それを工芸品な どに加工・販売するようになったのは天保年間頃のことといわれ、水晶印もその一環とし て製造されたのだろう。

 時代は間もなく明治になり、印章普及の画期となる法令が出された。明治6年(187 3)の太政官布告第239号において、証書類には実印を押すことが求められた。

同11 年には印鑑登録の制度も定められ、誰もが法的な証拠能力を認められた実印を使うように なったのである。

こうした実印の制度が、印章の需要を大きく喚起したことは想像に難く ない。山梨でも印章産業が盛んになり、甲府や六郷(市川三郷町)を中心に展開する。

六郷では早くから全国に販路を展開したが、それまでの主要産品であった足袋の外商で 開拓してきた販路を活用したといわれる。行商人が各地を回って注文をとり、六郷へ戻ったら完成した印章を受け取り、再び注文先に出向くという方法だ。遅くとも明治30年代 には外商による販売を始めており、行商人が携えた印章の見本箱は、彼らの努力を物語る 貴重な資料といえよう。

印章制作の技術は勿論のこと、こうした売る努力も相まって、六 郷ははんこの町として知られるようになったのだろう。

また甲府では六郷に先行して印章産業が展開していた。

その中で注目したいのが、甲斐 物産商会が明治41年(1908)に出版した『八体配文 篆刻宝典』である。これは日本 人の主だった名字ごとに、印章で用いる8種類の書体を示したものだが、明らかに一般向けの書ではなく、同業者の技術向上をはかるためのものだ。山梨の印章産業は、その当初 から業界全体の底上げをはかるような取り組みをしていたといえよう。こうして培われて きた印章制作の技術は、山梨を代表する地場産業となった印章産業の基礎となり、平成6 年には山梨県の、同12年には国の伝統工芸品として「甲州手彫印章」が指定された。

山梨の印章産業は、水晶という自然の恵みに始まり、それを活かすための技術が培われ、 さらに全国に売り出す努力によって発展してきたといえよう。これらは県立博物館の主要 テーマである「山梨の自然と人」「山梨の交流の歴史」に共鳴するものであることを、私も 企画展を通して再認識することができた。

 

3月から58日まで開催された印章:刻まれてきた歴史と文化を6回のシリーズで掲載したものを皆様に発信をいたしました。時間があればもっともっと消費者に印章を知ってもらう企画等々を展示できたかと思うと少し残念な気持ちもあります。県のハンコ議連の議員の皆様、振興課の皆様、学芸員の皆様には感謝です。

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